今の時代、1つの会社に定年までいる方
(転職を経験したことない方)はどのくらいいるのだろう?
最近ではようやく転職がスタンダードになりつつある世の中になってきては
いますが、まだまだ通算会社を6回転職した(7社)経験した、トモは、世間的に
転職回数が多く、もちろんとも自身もはじめからこんなに転職を繰り返すとは
思ってみませんでした。
ちなみにのちにでてくる”トモ”とは筆者のことです。
どちらかと言うと、大学生の時は、終身雇用の流れで定年まで1社勤め上げると
考えていました。
今からお話しするのは、トモの6回の転職エピソードについて、様々な苦難を
乗り越えて転職し、今多少なりとも安定したかをお話しするものです。
昨今転職ブログでは、「転職してキャリアップをはかり収入UPしました」的な
エピソードを語られているものも多く、転職成功秘話が多いものの、本ブログは
トモの失敗談も赤裸々にお話しし、反面教師として、転職に臨んでほしいという
思いから記事にしています。
それではまずは、トモの家庭環境からお話ししときましょう。
トモの親は自営業ではあるものの厳格な父と子煩悩な母親で育てられ
ひと昔前の「会社に就職するならずっとその会社で」というのが当たり前の考え方
まさに終身雇用を目指し就職を望まれる家庭です( 一一)
でも好きな事より完全な安定を望まれ、そのように教えられてきた世代です。
特に大学行くのも、いい会社に入る為、自分がやりたいことは社会人になってから
みたいな風潮もあり、すべての家庭がとものような考え方もった親だとは思い
ませんが、周りも多かったように思える。。(-_-)
今とは時代錯誤を感じる状況です。
大手ハウスメーカーに就職叶う 安泰?
そんな、トモが大学3年生で就職活動した結果、多少不動産業界、家をお客様と
一緒に達成感を共有したいと思う気持ちから某大手ハウスメーカーの営業で
仕事をすることなります。
内定もらうまで内申書と履歴書の一次選考、二次選考でSPI等の試験、三次選考
で営業担当者相手の面接、四次選考で役員との面接が最終となります。
苦難な道のりでしたが、何とか大手ハウスメーカーに就職することが
できました。
比較的知らない人と仲良くなったり、人と接する仕事がしたいと思いから
営業を選んでいます。まあ文系出身ということもありこのころは文系=営業
みたいな不調でした( 一一)
このころを少し今になって振り返ると、人と話しするのが得意、接するのが
好き、誰とでも仲良くなれるなど確かに友達感覚での接し方、対応の仕方は
得意だったかもしれません。しかし、ビジネスにおいての接し方や交渉などは
自分にはあまり向いていなかったかもしれません。
あらよかったわね。これで安心だわね
両親はもちろん、大手企業でそれなりの大企業でもあり、ホントに喜んでくれ
ました。とももほっとしてこれで「安泰だ」と思った3年後、自主退職する
ことになります。。
大手メーカーで就職するも自己都合による退職
残念ながら、やめることになります。
理由は人間関係と仕事の激務、プレッシャーに飲み込まれて辞める決断をしました。
非常にトモとしては苦しかった。。。
母はあれだけ喜んでくれていたに、またこの時、今の嫁さんと結婚して子供も
生まれる状態で、、露頭に迷うような状況でした。
ただ嫁さんは今の仕事の大変さをわかっており、やめることについてあまり
責めたりすることはありませんでした(-_-)
昨今は、働き方改革がススム中、今では考えられないかもしれませんがともの
この3年間で仕事している時間は、朝9時出社で仕事の終わりはエンドレスです。
勤務での暗黙のルールがあり、先輩、上司より先に帰ることは基本だめな環境。
帰るのは早くて10時遅いときには、翌朝は事務所兼展示場に泊まり帰れません。
特に厳しかったのは営業ですので、家が売れなければ、一部の方からでしたが、
先輩や上司からの圧や嫌味、叱責もあり、それが毎日のように続きます。
もちろん辛いだけの仕事だけではありません、良いこともやりがいのある
こともあります。
展示場に来たお客様を接客し、何回も家に訪問・提案する中で信頼関係が生まれ
成約になったケースもあり、「トモさんに家を建ててもらえてよかった」など
家主さんから話しされたときは嬉しかったですよ。
特に思うのは、他の自動車のディーラーや家電の販売の「売れた」の嬉しさ
達成感レベルは違うと思います。
というのも、この高額のハウスメーカーの家を建てる方は、それなりの年収が
ある人生経験も積まれてる方、そのような人と交渉や提案し、成約に結び付いた
と思うとから特にそう思います。
しかしやはり家が売れない日々が長くなると自己否定が続き、また給料は
でませんが、休日も働かないと営業成績が上がらない、気持ちが落ち
つかなくなります。
そこから負のスパイラルが始まり、何をやぅても接客して会話しても何も
おもしろくなく、ただただやりきれない日々を過ごしているだけになってきます。
周りに相談すると「辛抱が足らないじゃない」との批判も受けつつも退職する
ことを決めます。
初めての転職 あせりと不安
まだ何も考えず、若かったということあり、変な自信がありました「大手ハウス
メーカーで3年は頑張ってきたから、どこに転職しても通用するだろう」
今振り返れば、なぜそんなに自身があったんだろうと思うくらい思い切りが
あったように思います。
通常は、やめる前に内々で転職活動をし納得した会社に内定もらえたら、
退職する計画を練り、退職届けを提出するのですが、この時はそんな知識、
考えもなくひたすらこの会社からいなくなりたかったので、特に転職活動せず
辞めています。
転職活動し、営業職の求人を探すもののまだこのときは20代前半ではありますが
妻子もちで、次のあてもない状態で転職活動して収入が途絶えたこともあり
1ヵ月必死で職を探しました。
ようやくですが、1社から内定をもらえ、そのまま比較することもなく転職に
終止符をうちました。
普通は、数社面接や入社試験を受け会社をよく把握し、比較しながらすすめない
といけませんが、なにせ収入が途切れたのと、妻子もちであり、比較できる余裕
がありませんでした。
で会社をやめ、しかも妻子もちの状態でホントに転職経験がないのは、怖い。。。
次は、業種を変えて某携帯電話ショップの販売員に転職した話しです。
しかし、人間関係に悩むことに。。。
「第2章 慌てた転職先1社目 某携帯電話ショップ 正社員からアルバイトへ転落」